2013年2月23日土曜日

点を線で結ぶ


最近、「身体」ということが気になってしかたない。

いや、ずっと前からそうだった。

ヨガをやってみたり、トレーニングに勤しんだりしているのは、たぶんそのあらわれなのだろうと思う。そして、実践をしてみると、いろいろと気づかされることがある。自分自身の意識と身体との結びつきについて。あるいは、身体そのものについても。

僕は音楽やアートで育ってきた人間なので、自ずとその関心は、芸術あるいは音楽と身体という問題へと焦点を結んでいく。


少し話題はずれるけれど、最近、友人にある詩集を教えてもらった。

村野四郎『体操詩集』(上の写真)。

発表されたのは、昭和14年(1939年)。詩人は新即物主義の影響下で、この詩集を書いたのだという。

モダニズムという時代は、芸術において、近代スポーツがさまざまなかたちで主題化された時代だ。たぶん、絵画や写真にも、いろんな事例があるはず。音楽にも、サティの《スポーツと気晴らし》や、オネゲルの《ラグビー》など、けっこう素敵な作品がある。そうそう、ドビュッシーの《遊戯》を忘れてはいけない。


実は、スポーツをテーマにした音楽作品がこの時代に多く作曲されているというのは、ずっと前から(それこそ中高の時分から)興味のある事柄だった。

でも、音楽史では、それらはどちらかと言えば、「挿話的」な事例として片付けられてきたような気がするし、僕自身もどう扱っていいものか、そもそも研究に値するものなのかどうかも、よく分からないでいた。

しかし、いま、「身体」という観点からそれらの作品を眺めてみると、そこに重要な何かが隠されているのではないかという気がする。まだ、漠然としているのだけれど。

とにかく、近代スポーツが、音楽や芸術においてどのように「主題化」されていったのかを考察してみるのは、それ自体がテーマとして面白いのではないかと思う。メディアとか、大衆文化との関わりといった問題も、当然、浮上してくるだろうし。


音楽を中心にして。ほかの分野にも目配せしながら。
そんな点を線で結ぶような仕事ができたらいいなあ。

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