2011年7月25日月曜日

オールドバラ滞在記・2


朝のひんやりとした空気のなか、ブログを書いています。あいかわらず、夜はあまり眠れません。今朝も3時ごろに目が覚めて、何をするでもなく、しばらく読書をしていました。ですが、オールドバラでは、この時間が一日で一番好きな時間帯かもしれません。静かに窓を開けると、冷たい風とともに、カモメやウミネコ、いろいろな鳥の声が聞こえてきます。オールドバラの朝を告げる、美しいサウンドスケープです。

オールドバラという町については、イギリスの作家E. M. フォースターが一編のエッセイ(“George Crabbe: the Poet and the Man”)を書いています。これはオールドバラ出身の18世紀の詩人ジョージ・クラッブに関するもので、日本を発つ前に、東京音大のMさんからコピーをいただき、オールドバラへの旅行中ときどき読み返していました。「クラッブについて語ることは、イングランドについて語ることである」という印象的な書き出しではじまるこのエッセイのなかで、フォースターは町の様子をこのように描写しています。

それは寒々とした小さな場所である。美しくはない。町はフリントを積み上げた教会の塔のまわりに密集し、そこから北海のほうに下って大の字に広がっている。——そして、小石だらけの浜辺に打ちつけては、海がぶくぶくと泡立つさまよ! 近くには、河口の側に波止場があり、ここからの眺めはメランコリックで平たんなものとなる。広がる泥土、塩っぽい共同地、沼地の鳥たちの鳴き声。クラッブはこの音を聞き、このメランコリーを見、そして、それらが彼の詩句となっているのだ。

7/21。ロンドンのリヴァプール・ストリート駅から列車を乗り継ぎ、サクスマンダム駅へ(ここまで約2時間)。そして、さらにそこからローカル・バスに乗って30〜40分。ようやくオールドバラにたどり着いた僕の眼前にも、同じ眺めが広がっていました。北海の荒々しい波、小石だらけの浜辺、海鳥たちの鳴き声。遠浅の海は茶色く濁っていました。波打ち際では、ほんとうに海がぶくぶくと泡のような音を立てています。あ、《ピーター・グライムズ》の海だ、と直感しました。

目の前の現実の風景に物語のなかの情景を重ね合わせるなんて、センチメンタルにも程がありますね。はじめは僕も、オールドバラに行って何が分かるのか、と思っていました。それよりも作品を丹念に分析し、楽譜とテクストを地道に読み解くことのほうがよほど大事なのではないか、と。しかし、実際にこの地に立ってみて、ここに来てみなければ分からないこともたしかにある、と気づきました。ブリテンもたしかに、この音を聞き、このメランコリーを見、そして、それらが彼の音楽となっているのだ、と。

ブリテンの作品をまだあまりよく知らない方には、やはり、まずはオペラ《ピーター・グライムズ》を観ていただきたいです。といっても、いきなりオペラ全編というのはたいへんですから、このオペラのなかから間奏曲を演奏会用に抜粋した「4つの海の間奏曲」をおすすめします。とくに第1曲〈夜明け Dawn〉が僕のお気に入りです。フルートとヴァイオリンによる寂しげな一本の旋律、吹き抜ける風のように奏でられるクラリネットとヴィオラとハープのアルペッジョ、そして低音の金管楽器の打ち寄せる波のようにクレッシェンドし、ディミニュエンドする和音。単純な手法ですが、これだけで十分です。ひとつの海の情景が浮かび上がります。

しかし、これらの間奏曲はまた、単なる海の情景描写ではありません。ブリテンは無言の音を通じて、海に生きる人びとの、そして主人公である孤独な漁師の、言葉にされることのない深い内面も描いていきます。荒々しく波立つ海は、その濁った水面にひとのこころの深淵を映し出してもいるのです。と同時に、これらは作曲者自身の心象風景でもあるとも思うのですが、そのことについては、また改めて書くことができればと思っています。

などと書いているうちに、もうお昼になってしまいました。そうだ、せっかく毎朝早起きしているわけですから、今度、夜明けの海を見に行ってみたいと思います。〈夜明け〉の音楽を思いうかべながら。

2011年7月24日日曜日

オールドバラ滞在記・1


今、イギリスに来ています。これから2ヶ月間、サフォーク州オールドバラというところに滞在して、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンの研究(資料調査と論文の執筆)に取り組む予定です。

2ヶ月って、短いようで長いよなあ、というのが、今の実感です。よく長いようで短いとは言いますが、まだ始まったばかりだからなのかも。滞在が終わる頃には、あっという間だったなあ、なんて言っているかもしれません。

オールドバラに着いて3日目ですが、何かと慌ただしかった東京での生活と比べて(とくに7月は、日本を発つ前に山のような仕事をこなさなくてはならなかったので)、驚くほど静かで、ゆったりと時間が過ぎていきます。あまりにものんびりしていて、ときどき不安になるくらいです。時差もまだ抜けていなくて、昼間にものすごーく眠くなり、夜中はなかなか寝つけません。でも、しばらくすれば、この時間の流れにも、慣れて来るのかもしれませんね。

とりあえず、今週は、原稿の仕事と、近々書き上げなければならない論文をひとつ、仕上げるのが目標です。その間に、隣町スネイプにあるモールティングスというホールで開催される若手作曲家によるオペラ創作のワークショップも観てきます。

すでに何枚か、素敵な町の写真がとれました。こちらの様子などとあわせて、随時アップしていきますね。とりあえず、今日の一枚は、町で見つけたかわいい小道です。