2011年8月24日水曜日

オールドバラ滞在記・3


久しぶりの更新になってしまいました。オールドバラに来て、はや1ヶ月が経とうとしています。

オールドバラでは、小さなコテージを借りています。東京のような都会とは違って、小さな田舎町ですから、暮らしていれば、自然とご近所付き合いも生まれくるものです。お隣のマジェリーさんは戦争が終わった年にオールドバラにお嫁に来て、もう68年もこの町に暮らしているとのこと。このあいだ、立ち話をしていたら、ブリテンが犬を連れて散歩しているのをよく見かけたわよ、と教えてくれました。昔、マジェリーさんが働いていたお店にもよく買い物に来ていたそうです。そんな町に来ているんだなあ、と少し感慨深くもある今日この頃です。

先日、イギリスに遊びにきていた友人と、ブリテンの暮らした「レッドハウス」と呼ばれる家を見に行きました。マジェリーさんの話を聞いていてふと思い出したのが、一階のリヴィングルームの隣に、小さな犬用玄関(とでも言うのでしょうか)があったことです。ブリテンが犬を飼っていたという事実は、伝記などにも書かれてあったのでしょうが、すっかり読み飛ばしていました。しかし、そうした小さな事実の数々を自分自身の目や耳で確かめることで初めて、ブリテンという作曲家に対する自分なりの理解が深まってきているような気もしています。

 (ブリテンとピアーズが暮らした「レッドハウス」)

オールドバラに暮らしながら、なぜブリテンがここを生活と創作の場として選んだのか、ということを考えることがあります。この滞在期間中、オールドバラとロンドンを何度か行き来したのですが、時間もかかりますし、不便きわまりありません。もちろん、車があれば、そこまでたいへんではないのかもしれませんが、それでもここが「僻地」であるということにかわりはないでしょう。しかし、彼はここを拠点にし、ここで作品を書き、仲間たちを呼んで新作の構想について語らったり、友人とゲームやテニスをしたり、また親しい音楽家たちを招いて音楽祭を開いたりしました。

もちろん土地への愛着もあったでしょう。と同時に、ここに暮らすことで、彼はある種の共同体を夢見ていたのかもしれないなあとも思います。音楽は共同体のものでなければならない、というのが、彼の創作の根本にはありました。その彼なりの共同体の考え方(たぶん、思想というほどの体系だったものではなかったはずです)や、それと付随する「occasional music」の問題は、実はこれまでブリテンの研究をしてきて、僕としてはあまりぴんと来なかった部分だったのですが、ここで暮らすうちに、何かある、と思うようになりました。これについては、今回の滞在の目的でもある研究中の課題の中で、自分なりの答えを見いだしていきたいと思っています。

 (ブリテンとピアーズは、フォースターのエッセイにも出てくるAldeburgh Parish Churchの墓地に眠っています)

書きたいことはまだまだ山のようにあります。プロムスのスティーヴ・ライヒ75歳記念コンサートに行ったこと。それと友人とグラインドボーン音楽祭にブリテンの《ねじの回転》を観に行ったときのこと。《ねじの回転》というオペラに関してや、また心理劇としてのこの作品を見事に舞台化していたJonathan Kentの演出についても、ぜひ書いておきたいことがあります。が、今日はもう遅いので、この辺にしておきたいと思います。

この夏のイギリス滞在も残すところ、あと1ヶ月ほど。スケジュールもかなり立て込んできました。9月の最初の土日には、ケンブリッジ大学でブリテンと文学に焦点をあてた「Literary Britten」というカンファレンスがあり、それに参加してきます。来週から再来週にかけては、いよいよBritten-Pears Libraryでの資料研究もスタート。そして、今月末には論文も一本仕上げなければなりません。ですが、また折々に、それらの報告もふくめて、このブログもつづっていきたいと思っています。

ではまた!