晩年の須賀敦子の、読者の手を突然ふっと放すみたいな、 あの不思議な文章の終わり方は、いったいなんだろう。
まだ、話の途中のような気がするのだけど、でも、文章自体は確かにそこで終わっている。
お話の続きは? またこんどね・・・
昨日、布団の中で、「時のかけらたち」を読みながら、結末をつける、話を閉じることを拒む静かな意志、みたいなものを感じて、なにか勇気づけられたような気がした。
結論、など必要ない。
急ごしらえの、ありふれた、形だけの「結論」など、なんの意味があるだろう。それは欺瞞以外のなにものでもない。
それよりも、未完である、まだ続きがある、というほうが、よっぽど正直で、意味深いではないか。
書き手の良心の問題として。
まだ、話の途中のような気がするのだけど、でも、文章自体は確かにそこで終わっている。
お話の続きは? またこんどね・・・
昨日、布団の中で、「時のかけらたち」を読みながら、結末をつける、話を閉じることを拒む静かな意志、みたいなものを感じて、なにか勇気づけられたような気がした。
結論、など必要ない。
急ごしらえの、ありふれた、形だけの「結論」など、なんの意味があるだろう。それは欺瞞以外のなにものでもない。
それよりも、未完である、まだ続きがある、というほうが、よっぽど正直で、意味深いではないか。
書き手の良心の問題として。
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