2013年5月20日月曜日

過去を語る言葉



最近のいろんなニュースを見ていて感じることは、当たり前のことだけれど、人が過去について語る時、それは単に「歴史的事実」なるものについて語ろうとしているのでなく、そこには、現在や未来のあり方に対するその人間の考え方や願望が言外に語られているということだ。で、そうした言葉を耳にする時には、最低限のリテラシーとして、そのことを忘れないでおきたい。とくに、「政治家」と呼ばれる人間たちが語るときには。

2013年4月6日土曜日

たたずまい

3月の終わりに、つかの間の休みを利用して、鹿児島を旅してきました。
知覧武家屋敷群。たたずまいの美しい町並みでした。











おまけ。






2013年2月23日土曜日

点を線で結ぶ


最近、「身体」ということが気になってしかたない。

いや、ずっと前からそうだった。

ヨガをやってみたり、トレーニングに勤しんだりしているのは、たぶんそのあらわれなのだろうと思う。そして、実践をしてみると、いろいろと気づかされることがある。自分自身の意識と身体との結びつきについて。あるいは、身体そのものについても。

僕は音楽やアートで育ってきた人間なので、自ずとその関心は、芸術あるいは音楽と身体という問題へと焦点を結んでいく。

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少し話題はずれるけれど、最近、友人にある詩集を教えてもらった。

村野四郎『体操詩集』(上の写真)。

発表されたのは、昭和14年(1939年)。詩人は新即物主義の影響下で、この詩集を書いたのだという。

モダニズムという時代は、芸術において、近代スポーツがさまざまなかたちで主題化された時代だ。たぶん、絵画や写真にも、いろんな事例があるはず。音楽にも、サティの《スポーツと気晴らし》や、オネゲルの《ラグビー》など、けっこう素敵な作品がある。そうそう、ドビュッシーの《遊戯》を忘れてはいけない。

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実は、スポーツをテーマにした音楽作品がこの時代に多く作曲されているというのは、ずっと前から(それこそ中高の時分から)興味のある事柄だった。

でも、音楽史では、それらはどちらかと言えば、「挿話的」な事例として片付けられてきたような気がするし、僕自身もどう扱っていいものか、そもそも研究に値するものなのかどうかも、よく分からないでいた。

しかし、いま、「身体」という観点からそれらの作品を眺めてみると、そこに重要な何かが隠されているのではないかという気がする。まだ、漠然としているのだけれど。

とにかく、近代スポーツが、音楽や芸術においてどのように「主題化」されていったのかを考察してみるのは、それ自体がテーマとして面白いのではないかと思う。メディアとか、大衆文化との関わりといった問題も、当然、浮上してくるだろうし。

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音楽を中心にして。ほかの分野にも目配せしながら。
そんな点を線で結ぶような仕事ができたらいいなあ。

2013年1月6日日曜日

2013年1月1日火曜日

Another op'nin', another show


あけましておめでとうございます。
年末から大好きなコール・ポーターの曲が頭からずっと離れません。

新しい一年の幕開け。
今年はどんな一年になるんだろう。
楽しみです。

2012年1月3日火曜日

謹賀新年


今年はひさしぶりにゆっくりとしたお正月を過ごしています。
2012年がみんなにとって健やかな一年となりますように。