2013年8月30日金曜日

Christian Blackshaw ピアノ・リサイタル(Snape Maltings)




お目当ての演奏家のリサイタルや、なじみのオーケストラのコンサートに行く、というのもいいけれど、たまには旅先で、なりゆきにまかせるままに、その土地で開かれている演奏会に、足を運んでみるというのもいい。

いつも、というわけではないが、ときに思いがけなく、幸せな出会いをもたらしてくれることがある。旅、というものが、未知との出会いを約束してくれるものであるように。

先週、1週間ほどの日程で、友人とイギリスを旅行した。ブリテンの生誕100年ということで、一種の巡礼の旅、というか、グラインドボーンで《ビリー・バッド》を観たり、ローストフトにある(今は、"Britten House"というB&Bになってしまっている)ブリテンの生家を訪れてみたり、モールヴァン・ヒルズの小さなカトリック教会に眠るエルガー夫妻のお墓や、ナショナル・トラストによって最近公開されたレイス・ヒルにあるヴォーン・ウィリアムズの邸宅を訪問したり、そして、最後にはお約束のオールドバラに行ったりと、車での旅ということもあり、思う存分に、旅を満喫した(写真は、またアップします)。

旅の最終日(8/25)、スネイプのモールティングスで、ピアノ・リサイタルが行われるのを知り、せっかくだからと思って、行ってみることにした。

ピアニストの名は、クリスチャン・ブラックショウ。寡聞にも、イギリスにこんなに素晴らしいピアニストがいるなんて、知らなかった。

1949年生まれというから、今年、64歳になる。家族のためにキャリアの半ばでコンサート・ピアニストとしての活動をいったん休止し、最近になって活動を再開したのだという。そうした事情もあってか、録音もほとんどないようだ。もしかしたら、まだ知る人ぞ知る、という存在なのかもしれない。しかし、会場には、彼のピアノを聴こうと、多くの聴衆が集まっていた。

プログラムは、モーツァルト(幻想曲 ニ短調 K.397とソナタ ニ長調 K.576)、シューベルト(ソナタ イ短調 D.784)、そして後半にシューマン(幻想曲 ハ長調)。1曲目に演奏されたモーツァルトのニ短調の幻想曲の出だしのアルペッジョから、彼の音楽にぐっと引き込まれていった

繊細かつ細心の注意を払って選び抜かれた、一音一音の表情。息をのむような弱音の美しさ。決して崩れることのない、レガントな音のたたずまい。そして、作曲家の書いたものが、そのまま音の向こう側に透けて見えるような、どこまでも透明な詩情。

ピアノを弾くピアニストは、この世界に、ごまんといる。しかし、本当の音楽を聴かせてくれるピアニストに出会えることは、めったにない。彼は、まさしく、そうしたピアニストだった。

それと、スネイプ・モールティングスの響きの素晴らしかったこと!

ここはモルト工場だった建物を改築して造られたコンサートホールで、ブリテンゆかりの場所でもある(1967年に、オールドバラ音楽祭の会場としてオープンした)。

もともとモルト工場だっただけあって、れんが造りで、天井は高く、床はコルク、シートは籐で編まれたもの。すべてが自然の素材で出来ている。もちろん、サフォークの独特の風土というものもあるのだろうけれど。複雑な構造体など作らなくとも、それだけで十分なのだ。

旅の終わりに、忘れられない夜となった。