2011年3月14日月曜日

明日

あの日以来、揺れ続けている。地面が。日常が。そして、わたしたちのこころが。

明日への不安、という言葉が、今ほどリアルに感じられることはない。しかし、いま、この瞬間にも、明日のために懸命に努力をしている人たちがいる。わたしにできるのは小さなことかもしれないけれど、それでも自分自身にできること、やるべきことはまっとうしよう。小さな、しかし、希望ある明日のために。

被災地のみなさまには、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く、平穏な日々が戻りますように。

——避難所で過ごしている「彼女」の無事を祈りながら。

2011年3月10日木曜日

ヴォクスマーナのこと

先週末、ヴォクスマーナの第24回定期演奏会に行ってきた。一言でいうと、すばらしい演奏会だった。ヴォクスマーナは今年、結成15周年を迎えるそうなのだが、僕個人としても、なんだかとても感慨深い。というのも、彼らが15年前に結成して以来、僕は年2回の定期演奏会をほとんど欠かさずに聴いてきたからだ。

メンバーには大学時代の同級生や友人たちもいて、結成当時は大学生だった彼らももう30代半ばにさしかかっている。そうか、自分たちはもうそんな歳になったのだ、と改めて年月の流れの速さを実感すると同時に、彼らが15年間、「現代音楽専門の声楽アンサンブル」という演奏の面でも聴衆の獲得という面においても困難に違いない活動を、高い志でずっと継続してきたことに、心から尊敬の念を抱かずにはいられない。9月に予定されている第25回は、15周年記念演奏会となるそうだ。少し気が早いかもしれないけれど、ヴォクスマーナのみなさん、ほんとうにおめでとうございます。

さて、今回の演奏会でも強く感じたのだが、ここ最近の彼らの充実ぶりには目を見張るものがある。彼らのアンサンブルは、以前から個々のメンバーの高い技術に支えられた精度の高いものだったが、最近はより全体としてのバランスがとれてきて、なによりも演奏に迷いといったものがまったく感じられなくなった。技術的にもよりしなやかさが増してきたように思う。そして、作曲家の思いえがくものを実現しようとする、音楽への献身的な姿勢。ときには喉に大きな負担のかかる音域や発声法、超絶技巧などが要求されることもあるだろう。また、現代音楽の難しいピッチを楽器の助けを借りずに、人の声だけで正確に再現しようとすれば、そのために個人として、またアンサンブル全体として、どれほどの労力と時間と才能が必要とされるのか、僕のような凡人には到底想像もつかない。それでも、彼らはほとんどいつも、高いレベルの演奏を聴かせてくれるのだから、ほんとうにすごいことだと思う。

ヴォクスマーナというのは、人の声を意味するラテン語だが、この名前には彼ら自身の信念が表わされているのだろう。人の声には、おそらく無尽蔵の表現の可能性が秘められている。それは単に音楽の素材としてという意味においてだけではない。声とは、そもそも人が発するものだ。そこにはさまざまな響きがあり、色彩があり、感情がある。言葉もある。そして、こうしたさまざまなものはすべて人間という存在に根ざしたものである。そうした意味での声の存在というものを、今回、最も強く感じさせてくれたのは、木下正道の新作《書物との絆II》だったような気がする。ひとつの声が空間へと放たれ、それがアンサンブルの中に波紋のように広がりながら、多層的な音楽を奏でていく、とても密な時間を味わわせてくれた。

また次の15年後、ヴォクスマーナはどんな音楽を聴かせてくれているのだろう。そして、自分はいったい何をしているのだろう。未来が少しだけ待ち遠しくなってきた。

2011年3月9日水曜日

ブログ始めます

ブログを始めてみることにしました。
のんびり、少しずつ書いていこうと思っています。
タイトルはもうちょっと気の利いたものにしたいなあ。
どうぞよろしくお願いします。

向井大策